我が家は東京の真ん中、文京区の高台にある狭いアパートの12階にあります。
その室で6月末のある日の夕刻。
大学から帰ってきた娘から、突然、外出していた私に「お母さん大変だ、部屋中水浸しだ。至急帰ってきて」と緊急電話が入りました。飛んで帰ったら、もう無茶苦茶。部屋中水があふれ、まだ天井からボタボタと水が降り注いでいるではありませんか。ありえない。この高台で大洪水?ありえない。キャーなどと叫んでいる場合ではありません。
線状降水帯、ではありません。我が家だけの点状(天井)降水帯の大雨です。
すぐさま上の階に飛んで行って確認すると、上の階を修繕した業者が「水道管の絶対開けてはならない大バブル」を開けたまま作業終了で帰社したため、大量の水が下に噴出し、わが家に漏れ落ちた、ということが分かりました。夫は出張、子どもたちは大学で受講まっさい中。留年になりかねない。もし留年したら・・・。それこそ二人の涙水と授業料の大雨、大放出。
ともかくそれから避難生活が始まりました。
濡れた生活品や本等を屋上等で乾かす、業者と怒りの交渉、緊急避難所を探す、その一方で重要な会議はある、自書の出版準備は手抜きできない、講演に行かねばならない、電話は鳴り続ける、九月からの英・仏・独国行きの手続きと打ち合わせはしなければならない、毎日の食事や洗濯、頑固な祖父から大声の罵詈雑言は飛んでくる。もう無茶クチャ。でも泣いてはいられない。
全国各地で豪雨に遭い、避難生活を送った方々の苦しいお気持ちが本当、全身に染みて分かりました。実際の洪水下の生活はもっと苦しいでしょう。我が家は、取りあえず水道水は出る、トイレは使える、電気も通っている、PCも生きてる、泥のあふれた部屋で過ごすことはない、お日様のさす外の道は歩ける(痛いほどの連日のカンカン照りだけど)、ドロボウや盗み見の者はいない、買い物に行ける、明るい笑顔の方々と話せる。
被害に遭われた全国の皆さん。ご苦労と涙は、心底分かるようになりました。
最終的に何とか家具等は倉庫に運びだし、一家全員共に住むための仮の家(避難所)は決まり、そこに移る準備は整い、そこの掃除も済み、持って行く必要最低限の物品は運び終わりました。近々引っ越します。でもその内、再びこの家への帰宅の準備をし、帰宅し、日常生活を取り戻さなければならない。どこまで続くぬかるみ、ではない苦労ぞ、です。
多くの方々の助けがどんなに有難いか、言葉になりません。皆さま深く感謝申し上げます。時間が無く、十分な資料作成等ができなかった講演や会議の方々へお詫び申し上げます。
これからの子どもの安全指導で「避難と避難所生活の苦しみ」を実感を込めて少しは行えると思います。
幸いなことに我が家全員、元気で毎日を動き回っています。これが御高齢や体の不自由な方々だったら、どんなに情けなくつらい日々を送るだろう、と猛暑の夏の夜を過ごしながら寝に入っています。
英国の教育省と体験施設全てから昨日「9月、待っている」と最終連絡が入りました。
(文責 清永奈穂 2023年8月12日)