検挙に勝る予防(防犯)無し、と明治以来云われてきた。
しかしそれは検挙されることの心理的社会的威嚇効果が効いていた時代であった。検挙(捕まるということ)により,ワルを働くことへの心の「ひるみ・ためらい(心理的機制)」や、それ以上にその人や家族・近い遠い親類が所有していた、あるいは築いてきた社会的地位や名誉さらには金銭・職業などが「その時」あるいは「永遠」に剥奪されるという威嚇が効いていた時代にであった。
そういう規範が効いていた時代には「捕まるrisuk」という威嚇は絶対的に有効であった。
しかし最近、特にコロナ禍最盛期以降、この検挙威嚇は急速に低下してきている。最近の事件、特に犯罪者の行動を見てみると良い。家庭でも地域でも大学でも公的職場でも犯罪あるいは「犯罪もどき」の事象が絶えることなく起こしつつある。あるいは検挙の確率が高い所は、瞬時に判断し避けて「検挙されにくい」場所、あるいは「見とがめられにくい場所」を時間を置かず選択し実行している。
多くは「捕まってやったこと」を「悪いことをやった」とは認めるが、それでも老いも若きも絶えることなく短絡的衝動的(コミック・ジャンプ的)に「軽い犯罪から凶悪・重大な犯罪」にまで「やって」止まらない。前の家庭庁で報告したブログに書いたように、悪いことへの「規範意識」は身に付けているが、それを止めようなく「やってしまう」瞬発的短絡的力が勝っているのだ。
検挙の防犯効果が全くない、というのではない。大切なことは、それが万能的効果を持たなくなりつつあるということだ。
危惧するのは、これから予測される犯罪多発時代に入った時、検挙率が落ちるのではないかということである。犯罪は増える、検挙率は落ちる。それに伴い身近なところで犯罪(事件)や犯罪者はあふれる。それに伴い「自分もあれ程度はやっても良かろう」という気持ちを人々の間に醸成し、さらに犯罪は増えることになりかねない。人々は自衛に走るだろう。あるいは地域を挙げて自警に走る。そうすると地域により、そうできる所とそうで無い所とで安全格差が生じるだろうことになる。それは地域の熟成度と経済度に比例する。
問題はどうしてそうなったか、ということと、じゃーどうしたら良い?特に町中でパトロール防犯活動に従事している私たちは、だ。答えを幾つかあげることはできる。みんなと一緒に考えよう。
(文責 清永奈穂 2023年8月7日)