2月27日煮出された全国小中学校の休校要請以来、今日(4月27日)で2ヶ月の自宅での休み(と言う名の柔らかな自宅監禁)となった。この」休みもさらにこの先続くかも知れない。こうした状況に加えて外で働いていた父親・母親(その内の一人かも知れない)がこの監禁に加わった。
日本の家屋は小さく狭い。天井は低い。閉塞感は強い。例えば子一人家庭では、親子6個の目玉が動き回り、親子関係なく「自分以外の者へのチェック視線」が飛び交う。包囲する視線。そのビームから逃げることは容易でない。そのような空間で2ヶ月。大雑把に見て60日。
日本海中部地震で短期間ではあるが、A小学校からB小学校へ避難し共同生活を過ごした小学校児童間で交わされた視線を半年ほど追いかけた記録(作文)を読んだ事がある。彼らの視線に3つの段階的変化のあることが確認された。表現のトゲを取り柔らかく簡単に紹介すると以下のような関係であった。
第1段階は、期間は長短個人差があるが、最初の初期段階は、酷く悲しい体験を同時に共有し合う存在として「慰め合い許し合う」「微笑み会う称え合う」関係であった。
第2段階は、その「許し合い微笑みあい」に疲れ、自分の方が「耐えているのに」「いつまでも」さらには「もう少し静かにしたら我慢しろ」から「元のA小学校に戻ったら」へと「排斥的関係」へと変化していった。
第3段階は、それがさらに進んでいって「A小学校のあの子と口を聞くのもイヤ」さらに「顔を見るンもイヤ」「あんな口聞いて、うちらの学校をかりとるのに」「早く元のA小学校へ帰れー」と言う「敵対的攻撃的関係」となった。
勿論、全ての人間関係がこのように変化するものではありません。一つの事例です。どうかどなたか、この閉じた家庭空間の中で「子供観の言葉の変化」を「ただただ単純」に記してくださいませんか。大変な資料になるものと思います。
ともかく閉じた密度の濃い空間では、上記の第3段階が相居てくる可能性があるものと思われます。それが今回の新型ウイルス下の今、家庭で生じてきているか、どうかは判然としませんが、可能性は否定できません。親(強権)を持つ存在から非力な者(子)への強権の発動です(肉体的心理的虐待)。
このことを真剣に考えなくてはならない時期に至っている事は、どうも間違いなさそうです。家族の危機、子どもの危機。
どうしたら家庭内の虐待あるいは虐待心を止めることができるか。多くの人がそれらしく述べているが、その確かな方法はあるか。世田谷区の生活安全冊子「スクラム防犯」を今検討し大詰めに入っているが、その中の知恵の幾つかを下敷きに検討してみよう。
(文責 清永奈穂 2020・04・27)