以上のような3割もの犯罪減少に寄与する効果を持った防犯モデル道路であったが全国展開する間もなく消えていった。その理由として以下の点があげられる。
①理由の1:効き目がよすぎた
犯罪減少に効果があるということから県下市区町村の住民からの設置要求が増え、愛知県警の負担が様々な意味で(特に金・人)大きなものとなった。当時県警内部で囁かれたのは「やってよかったが、いかにやめるかが大問題」であった。
②理由の2:多様化しすぎた
「通学路」の安全確保から始まった防犯モデル道路は、その後さまざまな街路の安全確保に拡大していった。商店街、住宅街の道路などの安全モデル道路へ。そのため目的が絞り切れなくなり、場合によっては単なる「安全気休め道路化」していった。警察内部のモデル道路担当者は「地域からの気合を込めた『あれもこれもの』モデル道路設置要求をいかに断るか」に腐心した。
③警察が疲れた
もし安全を売り物の防犯モデル道路で犯罪が起こったら、という不安に県警は絶え間なくさらされ「もう止めよう、いいだろう」「他にやることがたくさんある」という気分になった。実際このころから犯罪減少は構造的に変化しうごめき始めていた。
④他の都道府県警察が導入する必要性と重要性に気付かなかった
防犯モデル道路が設置された1982年当時の犯罪状況は、1990年代以降と異なり、まだ比較的情勢は安定しており(しかし警察内部ではこれから大変になるぞ、と言われていた)、防犯モデル道路の重要性と必要性に政府も警察(特に各都道府県警察)も自治体も市民も気が付かないでいた。
このほかにも幾つもの理由があるが、ともかく、防犯モデル道路は存在したことも、今や忘れ去られてしまっているのではないか。
通学路の安全確保が緊急の政策的社会的課題となっている。通学路=防犯モデル道路と捉え再度復権してはどうだろう。いまだったら市区町村の首長の実績づくりに大きく作用すると思うのだが。かける必要は安価で効き目は実証されている。
私どもの(株)ステップ総合研究所の特別顧問で防犯モデル道路作りを主導した清永賢二が、本人に言わせれば「たぶんこれで最後だろう」という講演・研修会を「体調が良ければ」杉並区で11月ころ開き防犯モデル道路を話す予定で調整している。
(文責 八手紘子 砂川優子 2019・09・14)