最初は、学校を中心とする通学路で連続した犯罪が起こったことから始まった。住民不安は高い。いつ登下校途中の子どもが襲われるか分からない。

まず問題になったのは、学校をどうするかであった。当時学校はいじめが蔓延し、その原因として「学校への外からの視線」の無さであった。そこで「開かれた学校を作り、次いで防犯的に守られた「学校を囲む道路(通学路)」も作ろうとなった。それと警察庁の「防犯モデル道路構想」が結びついた。

まず学校を囲む塀がぶち壊され「学校の中に通りがかりの人の目が入る」ような取り組みがなされた。

 

 

 

そして住民―学校ー役所ー警察が一体となって通学路診断をし、どこに何を埋め込むかが検討された。

 

 

そして前号(3)に見たような「防犯モデル道路」が完成し、その完成式を警察の音楽隊パレード中心に行い、その様子をテレビで全県下市町村に伝えた。これがどうも犯罪者をモデル道路から遠ざけた一番の要因であった、という人もいる。

 

防犯モデル道路が出来上がるまでを素描るすると以上の様である。

簡単に言えば誰でもどこでも、どの区市町村だもできる。「やる気」と「子どもを守る」「自分たちの安全な町を自分たちで作る」その気持ちさえあれば。

30パーセントの犯罪を減らせるのだ。

(文責  清永奈穂 八手紘子 砂川優子 林成子  2019・09・14)