地震からの子どもの安全教育プログラムの開発研究
ステップ総合研究所では 地震からの子どもの安全教育プログラムを開発中です。開発研究メンバーは清永賢二(特別顧問。元日本女子大学教授、「大地震に遭った子ども達」NHK出版 著者)、平井邦彦(弊所特別研究員、長岡造形大学名誉教授)、篠原惇理(元積水ハウス次長 「暮らしの防災防犯」放送大学出版 著者)、弊所研究員 清永奈穂、遠藤直美、原千恵です。
地震への対応、その被害は、地震の震度、地震の被害に遭った場所などでが変わってきます。とっさの事態に備えるには、普段からのきちんとした教育プログラムを使用しての体験型安全教育が必要です。このプログラムを作り上げ、実際に実践していくことは長年地震からの安全研究に取り組んできた研究者の責任でもあります。私達の開発の経過をここでお知らせしつつ、最新の研究情報をお届けします。
地震からの子どもの安全教育プログラムの開発③(2012年3月27日)
平井邦彦先生(長岡造形大学名誉教授・地震防災学専攻)を監修者に「地震からの子どもの安全教育プログラム」の開発が本格的に始まりました。これには(株)ステップ総合研究所の篠原惇理研究部長(建築学専攻)も取り組んでいます。
篠原部長は、現在、「どこがなぜ危ないか」の場所の抽出に入っております。非常に面白い結果が出ております。「危険箇所」のチェックリストが作成されます。
清永奈穂は、篠原部長の結果を「地震からの安全体験教育」に活かすべく工夫を進めております。
清永賢二は、「岩手県宮古市から陸前高田を抜けて仙台までの実査」の結果を報告書として纏めております。もう一度、夏休み前に罹災した子どもにインタビューをしに訪れる計画を進めております。
報告書の中の一部を概略紹介しますと、以下のようです。
<東日本大震災実査報告書>
現地で実際に目にした大地震の凄さに息を呑んだ。天草四郎による「島原の乱」の時、徳川幕府が取った住民全員の殺戮(ジュノサイド)を「値切り」と表現したが、それと同様に「根こそぎ」という表現が、この表現でも足りない思いで胸に迫る。
この地震を通し「大震災=文化」という視点から捉える必用を痛感する。それは地域の生活と密接に結びつき、そして繰り返される悲劇の文化である。
大震災は、三陸リアス海岸だけの問題ではなく、「島国日本全体の宿命」の問題として理解せねばならない。明日は「我々の問題」である。こう考えると、罹災した三陸リアス地域の悲惨な状況を「ただその悲惨な後をきれいに片付け(きらいな言葉)旧情に戻す」ことが、私たちの復興対応ではないのではないか、という思いが強まる。
大地震が襲った後の「凄惨な様相」「凄さむごさ」そして「そこに生活していた人々のあがき・苦しみ・号泣・雪の舞う海岸で耐えて過ごした生活」をもっと積極的に「わたし達全員が我がこととして学ぶ」ために「復旧し瓦礫処理(本当に嫌な言葉)してしまわずに、そのままありのまま残す」努力をするべきなのではないか。柱1本、街並みそのままを!
壊れ砕け散った家、折れた鉄筋コンクリートの橋を「点」ではなく、「面」として残すべきなのではないか。「キレイに処理された瓦礫の跡地」からは、現実の大震災の「凄さ、むごさ、超絶した暴力、一瞬の無差別な惨く奪われた命の重さ」等が伝わりにくくなってしまう。
大震災は誰にでも襲う。であるならば、その暴力、無慈悲さの文化を積極的に残し、そこから涙を持って「学ぶ場」を造るべきではないか。
全国の子ども達が奈良・京都・沖縄・長崎・広島に修学旅行で行くことも大切であるが、そのことと同等に、あるいはそれ以上に岩手・宮城そして福島に行き、誰も居なくなった「からーん」とした空き地に佇む経験を持たせるべきではないか。少なくとも、かってそこには子ども達の生活があり、家族の笑い声があった。
「沖縄―長崎―広島―神戸(阪神大震災)―東京下町(東京大空襲)―福島―宮城―岩手」を結んだ「悲しみの回廊」を子ども達に旅させたらどうだろう。その回廊は、私たち日本人が行き続ける限り「忘却してはならない」今に続く悲しみと命の重さの歴史を教え続けてくれるであろう。
大震災の跡地は、点として残すのではなく、広大で寂寥とした「からっぽの面」として残す努力をするべきである。
(2012.3.27)
地震からの子どもの安全教育プログラムの開発研究②(2012年3月16日)
3月16日、長岡造形大学名誉教授の平井邦彦先生(地震防災学専攻)をお招きし、淸永賢二先生(ACE特別顧問、子どもの安全学専攻)と「子どもの安全教育グループACE」のメンバーとで研究会がもたれました。その結果、次の2点が確認されました。
①現地実査
ともかく早急に岩手等、罹災現地に赴き、いかに子どもが罹災し、その後の生活を実査する必用がある。
この検討の結果、清永賢二と清永奈穂そして清永賢二の補助としてもう1名が岩手県宮古市から陸前高田を抜けて仙台までの実査を19日から行ってくることとなりました。
清永賢二は3年前の脳梗塞の後遺症でまだ体が不安定ですが、どうしても一度は現地へという事でともかく赴くそうです。子どもが地震に遭った3月というのはどんな季節であったのかを確認してきます。
②プログラム作成の可能性と体験施設づくりのアウトライン
今までに防犯の基本的な「学習ノート」が作成されております。これと同じトーンで「地震版の学習ノート」の作成可能なことが確認されました。平井先生の指導の下に、作業を進めることとなりました。
同様に「体験施設」も作成可能ということが確認されました。
ともかく今までにない「子どもの地震からの安全学習ノート」の作成が早急に進んでおります。
子どもの安全教育グループACE代表
清永奈穂
地震からの子どもの安全教育プログラムの開発研究①(2012年3月1)
地震からの子どもの安全教育プログラムの開発①
長岡造形大学名誉教授の平井邦彦先生(地震防災学専攻)、淸永賢二先生(ACE特別顧問、子どもの安全学専攻)そして篠原惇理(株)ステップ総合研究所研究部長(建築学)のご指導の下に「地震からの子どもの安全行動」に関するプログラムが開発されました。今までになされているプログラムとは異なった新しい角度からの地震対応行動プログラムです。現在までに基礎的実験が終わり、実施段階に入りました。先生向けの指導書を作成中です。
今の地震からの安全教育には、意外なしかし大きな盲点があります。プログラムを紹介しながら、その盲点の所在を探ってみましょう。
所長 清永奈穂